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2011年7月15日 (金)

Global Leadership Studies

ICU献学60周年の一環で行われた社会人向けサマープログラム、Global Leadership Studies。4週間にわたり、ICUキャンパスで合宿をしながらグローバル・リーダーシップについて考え、様々なアクティビティをこなすコースだ。

参加者は、ソニー、ホンダ、キヤノン、日立、三菱重工、パナソニック、住友商事などのグローバル企業の将来の幹部候補や大学院生で、私と同年齢かその前後といったところであった。

私の担当はリーダーシップ論。使用言語は英語、しかも相手は大学生ではなく社会人ということで、教養学部の学部生に経営学を教える授業とは、雰囲気からして異なる。

Dsc01967(Photo: ICU GLS 2011)

リーダーシップとは、「自らの属する集団に自発的に目標達成を促すような影響を与える能力」のことで、フォーマルな権力(power)とか権限(authority)といったものとは質的に異なった、インフォーマルな力のことである。多くの人が考える「リーダーシップの発揮」とは、実はこの3つをごっちゃにしてしまっていることも多い。

リーダーシップはマネージャーの地位に就けば獲得できる権限や権力と異なり、リーダー個人の能力、フォロワーの質、リーダーの直面する状況などによって求められるリーダーシップスタイルは大きく左右され、しかも特定の国やコミュニティ、組織、部署によっても必要とされるリーダーシップのタイプは異なってくる、というなかなかあやふやで厄介な代物でもある(詳しくはこの本(笑)の第5章参照)。だからリーダシップを発揮しろとプレッシャーをかけられる中間管理職や経営者は、いろいろ苦労するのだ。

ちなみに、マネージャーも有効なリーダーシップを発揮できればそれに超したことはないのだが、実はリーダーシップはマネージャーに必要不可欠な能力、というわけでは決してな い(マネージャーはきちんと権限を行使できて、組織上の役割を果たしていれば、最低限のことはこなせていることになる)。

さて、「組織」や「戦略」といった日本語化された経営学用語に対して、いまだに「リーダーシップ」とカタカナで表記されるこの言葉は、日本人にはいまだ十分に消化できていない概念なのかもしれない。

leadershipという概念がネイティブに生み出されたのは英語圏であり、そこで見られるリーダーの発揮する力がリーダーシップの原型であろう。私は英国留学中に接した大学や中小企業、様々な財団の管理職や役員、はたまた大学の部やサークルの幹部学生などの仕事ぶりや考え方、そして彼らと他のメンバーの関係は、日本のそれとは大きく違うもので、まずその点に驚いた。集団の中にリーダーが存在し、いかにもリーダーとして機能していたし、フォロワーもフォロワーとして存在していた(当たり前なことで申し訳ない)。

それを見てはじめて、いまでは古典となった中根千枝の『タテ社会の人間関係』のいわんとする日本的な集団内の関係、あるいは池田潔の『自由と規律』の中で描かれた英国社会におけるリーダーシップ像を理解できた。というより、そもそもleadershipってこういうことだったのかという、目から鱗のわかりやすい例を目の前に見ることが出来たのがこのときだ。

もちろん英国内にもまずいリーダーシップを発揮した事例は山のようにあることも知っているので、英国スタイルのリーダーシップのみを称揚するつもりは毛頭ない。しかし頭ではわかっているつもりで実は全然わかっていなかったことに気づかされたということは、このときの大きな収穫であった。

日本人は(国内でも国際的にも)リーダーシップを発揮できるのか、という疑問(あるいは発揮しなければならない、という物言い)が、あちこちから聞こえてくる。しかしその問いに答えるためには、発揮すべきリーダーシップとはどのようなものなのかを、まずよく知ることも大切だと思う。そして、それが本当にその状況で必要なのかどうかも。

講義を通じて、ふとそんなことを考えた次第である。

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