カテゴリー「Think! より(旧 履中亭より)」の15件の記事

2016年11月30日 (水)

『日本のビジネスシステム:その原理と革新』出版

 
神戸大学大学院修士課程で所属していた加護野忠男先生の門下生たちの研究を集めた論文集『日本のビジネスシステム:その原理と革新』が出版の運びとなった。
 
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加護野先生とともに編者となった大先輩にお声がけをいただき、「社会問題の解決システム:社会企業家と問題解決コミュニティ」の章を担当した。明治期から戦後にかけて大流行し、社会問題となった結核。決定的な治療法が見つからない中、有効な療法として導入され、他の治療法とともに重用された大気栄養安静療法(サナトリウム療法)を根付かせた問題解決コミュニティについてのケーススタディである。
 
加護野門下生の研究らしからぬテーマでの執筆を許してくれた加護野先生と山田先生に感謝したい。
 

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2011年3月18日 (金)

震災後数日

大震災から一週間が過ぎた。被災した方々には、心からお見舞い申し上げる。

1995年。当時神戸大学の大学院生だった私は、阪神大震災の際も下宿していた東灘区で被災した経験がある。その意味では震災もその後の混乱も経験があるのだが、しかし今回は地震関連の諸事に加え、原発事故、大学での仕事などで情報も錯綜していた。

震災後間を置かずして、ネット上で(1995年当時とは比較にならないほど)豊富な情報が手に入るようになり、それを元に判断できるようになる。

- Google crisis response

- 首相官邸災害対応ページ

- 放射線医学総合研究所

- ICUでの非公式環境放射能水準調査

- 全国の放射線モニタリング

- 全国の水道の放射能濃度一覧  (追加)

- 武田邦彦教授の原発事故関連記事 (追加)

- 駐日米国大使館渡航情報(英語) (追加) 

- 駐日英国大使館渡航情報(英語) (追加)

- 福島原発事故-簡潔で正確な解説(PDF)

- 福島原発における放射性被ばくの解説(PDF) (追加)

- 福島第一原子力発電所事故 -Wikipedia (追加)

結局、現状では必要な手配を終わらせたあとは、おとなしくしているに限るということになった。三鷹にあって不要な外出を控え、できることをした上で淡々と学年末の残務処理をこなしている。


ps. 今後のことだが、やはりネット上でいくつかの意見を見つけた。

- 被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ~僕の浅はかな経験談~ →閉鎖(「被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ」で検索するとこの記事を転載したサイトがいくつも見つかります。)

阪神大震災当時神戸にいたこともあって、筆者の経験したことや気持ちはとてもよくわかる。

pps. 遠くから安否を問う知らせをいただいたが、私も家族も無事であった。ご心配いただいた方々に御礼申し上げる。

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2011年3月10日 (木)

家族の車を買う

妻が妊娠して、そろそろ家族用の車を準備する必要が出てきた。これまではおまつですべてをこなしていたが、二人乗りでトランクも小さく、ファミリーカーには使えない。

おまつは私の趣味に使うことにして、家族用に4ドアセダンを探し始めたのが2月の半ば頃だ。ドライブ好きとしては運転してみたい車もたくさんあって非常に悩ましいところだが、「4ドアで十分に荷物を積載でき、安全性を担保できるだけの装備があって、かつ妻も運転できるオートマチック車」に絞って探すことにした。

各ディーラーのウェブサイトを徘徊し、店を回って試乗を繰り返す中、ついに掘り出し物を見つけた。学生時代に乗っていたフォルクスワーゲン・ゴルフ以来の久しぶりのドイツ車である。

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アウディA6。私の好きなインダストリアル・デザイナーの一人、ペーター・シュライアーがアウディ・チーフ・デザイナーだった時代の作品。シュライアーは、当時まだ格下だったアウディを、そのデザイン力でメルセデス・ベンツ、BMWと並ぶプレミアムブランドへと発展させた立役者の一人である。C5型と呼ばれるこのA6は、2000年代の前半まで生産されていた車だ。

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英国留学中によく見かけた車で、その時から好印象を持っていた。当時のシュライアーらしい、シンプルかつ均整のとれたクリーンなスタイルで、わたくし的には白眉のジャーマンデザインだと思う。しかし車格が少々大きかったため、日本ではあまり売れなかった。

扱っているアウディのディーラーに問い合わせてみると、我々が必要とする装備はすべて備えたグレードで、年式はおまつと同じ2004年、走行距離はわずか3万5000㎞だという。

試乗してみると、大変きれいでしっかりとした車だった。まだ革内装のレザーのよい香りが残っている。前のオーナーは会社の経営者だったのだろうか、パーソナルユースなのだろうが登録は法人名義になっていた。状態はよいはずである(あくまでも一般論だが、法人名義の車は車検やメンテナンスを会社の経費で落とすことができるため、費用をかけてしっかりと整備されてきた車体が多い)。メンテナンスレコードを見てみると、ディーラー工場で車検はもとよりすべての定期点検が行われていた。

幸運なことに日本では不人気なこの車種は、そもそもかなり相場が低かった。しかも不景気の最中の決算期ということも重なって、非常によい条件が提示されてきた。

十分な安全装備もあって、万が一の時も少しは安心できるかもしれないということも決め手となって、この車が我が家にやってくることになった。車名にちなんで栄六(えいろく)と名付け、我が家で働いてもらっている。

栄六が我が家に到着したのは東日本大震災のまさに前日。まだ平和だった時の話である。

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2010年4月 3日 (土)

挙式・披露宴

不惑の年を迎え、数年来の仕事にも目処がつき、出会いにも恵まれて結婚することにした。

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挙式と披露宴の会場として選んだ六本木の倶楽部は、幼少時から父に連れられてよく訪れたお気に入りの場所で、私自身も数年前に会員となった。折しも庭園の桜は満開である。

久方ぶりに正礼装を身に纏い、少し緊張しながら招待客を出迎える。

穏やかな春の夕方、恩師畏友にも囲まれて賑やかな門出となった。

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今後ともよろしくお願いします。

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2009年11月21日 (土)

父の一周忌

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父が亡くなってから早一年が巡り、菩提寺で一周忌の法要が執り行われた。墓所の整備に時間がかかり、命日を過ぎてからの法事となった。

我が家の墓所は、三百年ほど前に初代が分家してから現在の場所にある。私で十代目となるが、私の三代前の当主が最後に大きな整備をしてから既に百年がたっていて、墓所の整備は父も亡くなる前に取りかかろうとしていた仕事であった。

そこで亡父の墓を建てる前に、まず墓所全体を整備する必要がある。ひびが入った外構を修理し石を磨き、初代から六代目までのお墓は新たに刻んだ五輪塔に合祀して、墓誌を作る。それからやっと亡父のお墓を作るのである。

墓誌を作るにあたっては、過去帳やお位牌、あるいは墓石の戒名や没年をつきあわせて、数代にわたる先祖の足跡を追うことになった。二百年以上前だと、当主の名前はわかるが、その妻や子供の名前は記されていないものも多い。家を大きくした当主の名前が代々襲名されていたこともわかった。また実際に整備するとなると決めなければならないことも多く、おかげで五輪塔や墓石の材質や形にも詳しくなった。

こうして迎えた法事の日は朝からの快晴、気温もこの時期にしては暖かい小春日和の一日。年輩の参列者にも負担が少ない天候で、ほっとする。集まった身内に挨拶して、ご足労を謝す。

いまの大学への移籍も父の体調や家業の手伝いなどのこともあって決めたのだが、残念ながら、移籍は父の臨終には間に合わなかった。思い返せば、新しい仕事や東京への移転、実家のことなどが山積した一年間。この先にもいろいろとすべきことはあるが、一つのことを無事に終えたという感慨とともに、あらためて父の冥福を祈った。

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2009年7月15日 (水)

Tokyo Summer

関東地方の梅雨明けが発表された。都心で夏空を仰ぐ。

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(丸ノ内)

暑中お見舞い申し上げます。

みなさま、どうぞ健やかな夏をお過ごしください。

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2009年4月29日 (水)

菩提寺の入寺式

亡くなった父に代わって、実家の菩提寺の檀家総代に就任した。現在四人いる総代の内の一人で、祖父・父に続く三代目となる(お寺からのご指名に、長男とはいえ私はクリスチャンですので・・・とお返事したのだが、いや構いませんからということだった)。

総代としての最初のお勤めが、現住職が引退しご子息が新たに住職に就任する退寺式と入寺式だった。四十四年ぶりの世代交代であり、お寺と檀家を挙げてその準備が進められた。

当日は、一点の雲もない青空。眩しいほどの新緑で、その中を行き交う来駕の僧侶たちの白や紫の衣、そして朱色の袈裟がよく映える。総代、世話人、講中、檀信徒を始め、出入りの業者や仕出し屋に至るまでそれぞれの持ち場に着き、一連の儀式は粛々と進んでいった。新住職入寺の行列では、総代たちが露払いで先導し楽を奏でる僧侶、法被姿の世話人と続く。その後を新住職が四十人の僧侶に伴われてすすみ、山門をくぐる。本堂はこれらの人々で一杯になり、境内のテント席も人で埋まった。

本堂内陣で宗門の宗務総長が新住職に辞令を渡し、新住職着座の儀に移る。住職の座を前にして、平伏する新住職。上席の僧侶が「御着座」と勧める。新住職はひれ伏したまま。再び、上席の僧侶が少し大きな声で「御着座」と勧める。それでも新住職は微動だにしない。とうとう上席の僧侶は、怒気をはらんだ大音声で「御着座っ!」と一喝。新住職は観念して、ようやく着座した。そして読経。新住職を筆頭に四十人の僧侶の読経を間近で聞くと、それはたいそうな迫力であった。歓迎の辞、新住職の答辞と続き、堂内の式は滞りなく進んだ。

さて無事着座を終えた新住職は見届け人を伴い、別室に移って総代たちと屠蘇を交わす。新住職と総代・檀家との固めの杯である。

最後に記念撮影を行い、祝宴となった。その中で総代たちは、来駕の僧侶に新住職への支持を乞い、また世話人たちとともに宴に加わる。

私は総代・世話人の中ではおそらく最年少、筆頭総代は私の祖父・父・私と三世代を知っている。宴の間に、彼らから祖父の話や戦後のお寺の来歴などをいろいろと教えて頂いた。

このお寺は五百年近い歴史を持ち、江戸時代以降は檀林(僧侶の教育機関)として、二十五の学寮と三百人の修行僧を抱える大寺であった。しかし関東大震災とそれに続く戦災によって、すべては灰燼に帰した。戦後、本堂・庫裏ほかを再建し、ここまで盛り返してきたのである。一日を終えてお寺を辞した帰り道、この寺の興隆を願い、先祖に続き微力を尽くそうと考えたことである。

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2009年4月 2日 (木)

出会いの桜

国際基督教大学教養学部に移籍、着任した。入学式の日に初出勤。私も再び新人となって、新しい仕事と生活が始まる。

広大なキャンパスを東西に走る直線道路(通称「滑走路」)に咲く満開の桜が、この「新人」を出迎えてくれた。

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同僚の先生方、事務の皆様、そして学生諸君、どうぞよろしくお願いします。

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2009年3月31日 (火)

別れの桜

大阪最終日。履中亭と大学の研究室を引き払った。鍵を返却して、隣人や同僚に挨拶する。

あとはおまつと東京に向かうばかりとなって、最後に履中陵を散歩した。

何度、この陵の周りを走っただろう。休日の夕方、陵の夕暮れを飽かず眺めながら、いくつ酒杯を干したことか。そして、夜遅く疲れ果てて研究室から戻ってきたときに、漆黒の水をたたえた濠と森の静寂を目の前にして、どれだけ癒されたことだろう・・・。

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そんなことを考えながら歩く濠端では、ソメイヨシノが咲き始めている。名残の桜に背中を押され、履中亭をあとにした。

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2009年3月 1日 (日)

雑記帳1周年

履中亭雑記帳を始めて、一年が経った。ふと興味があって大学の研究者・教員の一年間の生活を描いてみるとどのようなものになるだろうかと思ったのが、ブログを始めたきっかけだった。読み返してみると、結構いろいろなことをやってるんだなと、いまさらながら思う。

更新頻度はあまり多くないのだが、毎日おおむね4〜50ページ・ビューがあり、アクセスログをみると100人ほどが本ブログの定期的な読者であると推察される。自分自身の文字通り『雑記帳』だが、いろいろな人からこのブログの感想を聞くことができたりとコミュニケーションツールにもなって、やってみるととても面白かった。

4月からは、東京に移る。履中亭の生活もあとわずかである。

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