カテゴリー「私的人間成長論」の14件の記事

2016年8月30日 (火)

Bye bye Oxford

 
P1070484
 
留学を終え、オクスフォードを離れる。

教育学は全くの初学者だったが、高等教育は前から勉強してみたかったし、1年で修士号がとれるし、何か新しいことをやってみるのもよいかなと思って出願してみたのだが、とてもよかった。高等教育についてだけでなく、前回のケンブリッジ大学留学時以来15年ぶりにグローバル・トップの大学の最新の大学院教育を見ることが出来たことも、多くのインプットとアップデートになった。

サバティカルなので、滞在中は教育学の勉強だけではなく、同時並行で経営学の論文を1本、分担執筆で本の1章、それから共著の教科書を執筆した。カレッジのボート部やワインサークル、ユニオン・ソサエティなどでも活動できたし、大学中に知り合いが出来た。振り返ってみるとなかなか充実した滞在だったと思う。

後半の5ヶ月は、家族も合流した。皆初めての海外生活で最初の頃はいろいろと大変だったが、慣れてくるとオクスフォードでの生活を大いに楽しんでいた。まだ日本に帰りたくないし、また来たいという 笑。

オクスフォード大学の知と知性と歴史の巨大な蓄積には、目を見張るばかりであった。膨大な蔵書や電子リソースに、優れた教員と学生たちに、研究・教育の仕組みと雰囲気と歴史に。この巨大な知の伽藍とコミュニティは、数年ではとても理解したり、吸収したり、味わったりしきれない圧倒的なものだ。このような感覚を得るのも久しぶりであったし、一年とはいえ、再びそんな環境で学ぶことができたのはとても幸運なことだと思う。

下世話な話だが、このような経験にかかった学費は19,000ポンド(ざっくり学費15,000ポンド+カレッジフィー4,000ポンド)。正直言って、40台半ばの中年男がいまさら教育学の修士号を取得したとて、おそらく元は取れないだろう。では単なる自己満足、あるいは時間と金の無駄だったか?

そうかもしれない。しかし、そんなことを考えていると、『暮しの手帖』(当時は『美しい暮しの手帖』)の巻頭言を思い出す。そこには、編集長だった花森安治がこう書いている。

「これはあなたの手帖です
いろいろのことが ここには書きつけてある
この中の どれか 一つ二つは
すぐ今日 あなたの暮しに役立ち
せめて どれか もう一つか二つは
すぐには役に立たないように見えても
やがて こころの底ふかく沈んで
いつか あなたの暮しを変えてしまう
そんなふうな
これは あなたの暮しの手帖です」

読書をする、あるいは知識や教養を身につけるということは、まさしくこういうことなのだと思う。そしておそらく今回の経験も。
 
どれだけ今後のキャリアに役立つかはわからないし、結局はサンクコストになるのかもしれないが、この経験は何か今後の人生に意外な影響を与えてくれそうな気がする、そんな留学であった。
 

| | コメント (0)

2016年4月21日 (木)

Exam

Trinity term(春学期)が始まるや、試験である。

今日はHigher Education IIという科目の試験。大学の試験用の建物であるExaminnation Schoolsに参集する。

P1140476
P1140482
オクスフォード大学では、試験はサブファスクと呼ばれる正装↓でなければ受験することが出来ない。黒ずくめの学生たちで、試験会場は一杯になる。

P1140502
試験は2問を2時間、あるいは3問を3時間で解答する。すべて論述形式で、一問につき一冊渡される冊子状の解答用紙に7〜8ページくらいの解答を書く必要がある(英語ネイティブの学生は10ページくらいの解答をざらに書くという)。

試験範囲が広いにもかかわらず持ち込みは不可なので、大量の情報を整理して頭に詰め込んでおく必要があるし、十分な長さの解答を書くためには考える時間は少なく、ただひたすら書くということになる。普段はキーボードをたたいてばかりなので、試験が終わる頃には腕はいうことを聞かなくなっている。

「海外の大学の試験は記憶よりも思考能力を試す」などとまことしやかにいわれるが、(レポート・エッセイの類いは措くとしても)オクスブリッジの試験を受けた限りでは全くの嘘である。

セオリーやデータをきちんと整理して記憶しておかなければそもそも話にならないし、のんびり思考している時間などはない。論述形式であっても、基本的には覚えてきたことを「上手に」(→ここで多少の思考が必要になる)答案用紙の上にはき出して、タイムアップだ(ただし記述的(descriptive)になり過ぎてはならない)。

無事試験を終えた。打ち上げに、クラスメイトとパブに直行する。クラスのチューターの先生も心配して(?)来てくれた。面倒見のいい先生である。

P1140489
ちなみに、胸に挿しているのは試験最終日であることを示す赤いカーネーション(試験初日は白の、試験中の学生はピンクの,試験最終日は赤のカーネーションをサブファスクに挿すのがオクスフォードの伝統である。しかもこれらのカーネーションは自分で買うのではなく、誰かから贈られたものでなければならない。)

学期の始まりで一つ山を越え、忙しい学期は続く。

 

Related entries

- オクスフォード大学に出願する2

- オクスフォード大学に出願する1

- 啐啄同時2

- 最後まで粘った話二題

- 奨学金をとった話

- 800th Anniversary

| | コメント (0)

2015年11月23日 (月)

オクスフォード大学に出願する2

(承前)

4.面接
面接はスカイプを通じて行われた。インタビュアーは2名、時間は30分ほどであった。出願動機、研究目的、これまでの経歴、今後のキャリア、海外で多くの多様な留学生の中でやっていく自信はあるか、PhDを持っているのになぜまた修士課程に出願したのかなど、きめ細かく訊かれた。

インタビューも終わりの方になるとインタビュアーの一人は上機嫌で、「通知が届くまで3週間ほどかかるから待っててね」ともう合格したかのように今後のことを、あれこれと教えてくれた(日本ではそんな会話はあり得ない 笑)。

5.学部からの合格通知
3週間ほどして学部からの合格通知が届いた。が、これが条件付き合格(conditional offer)だったのだ 涙。英語圏の大学で学位を取っていたので語学試験免除申請を出したのだが、「語学試験免除の申請が通らなかったので、語学試験を受験せよ」とのお達しである。これにはかなり驚いた(後でオクスフォードのほかの学部の教員に訊いてみても、そのようなことは珍しいという)。前回の留学が20年近く前だったからか、出願書類や面接時の英語が拙かったからか、理由は定かではない(実際に留学してみると、クラスメイトの第一言語はすべて英語で英語力の差は明らかだったので、仕方ないかなとも思う)。

仕方なくIELTSを受験した。オクスフォード大学では、オーバーオール・スコア7.5以上、各コンポーネント7.0以上の成績が求められる。1回目の試験でオーバーオール・スコア7.5を取ったが、ライティングが6.5で7.0に届かなかった。その後も再受験するがライティングがどうしても7.0に届かない。しかし釈然としないものがあったので学部に経過を説明し、英国で博士号も取っているし、英語で本も論文も出版しているのだが、各コンポーネント7.0以上の成績が必要かもう一度問い合わせてみると、「それならいいです」とあっさり無条件合格(unconditional offer)に変わった(・・・一体なんなんだ??)。

こういうところは、故意に裁量の余地を大きめに残す英国流の選考方法である。日本ならばそもそも語学試験免除申請の時点で確実に語学試験は免除されたであろうし、語学試験を課されることになったなら、IELTSで7.0に届かないコンポーネントがあれば確実に落ちただろう。よく言えば柔軟性に富んだ、悪く言えばいい加減なものである。

6.カレッジからの受け入れ通知
その後、出願に際して第一希望としたNew Collegeから受け入れの通知があった。オクスフォード大学には40ほどのカレッジ(学寮)があり、学生はそのいずれかに所属することになる。歴史、学生数、得意分野、名声・財力などは様々だが、教育学研究科からだと出願できるカレッジは、以下の通りであった。

学部生・大学院生のカレッジ:Brasenose, Exeter, Harris Manchester, Jesus, Lady Margaret Hall, New, Pembroke, Regents Park, St Anne’s, St Catherine’s, St Edmund Hall, St Hilda’s, St Hugh’s, St Peter’s, Trinity, Wolfson and Worcester
大学院生のみのカレッジ:St Antonys, Linacre, Green Templeton, St Cross, Kellogg and Wolfson

この中から選ぶなら、個人的にはNew Collegeが筆頭にくる(オクスフォード全体の中から選ぶならNew Collegeに加えて、Balliol, Christchurch, Magdalen, Merton, Nuffield, St. John'sあたりが入る←カレッジの財力と知名度で選んだ)。

参考:オクスフォード大学の各カレッジの財力

参考:オクスフォード大学のカレッジ別の学力ランキング(学部生)≒知名度

カレッジへの受け入れが決まれば、出願手続きはすべて終了ということになる。
こうして無事にオクスフォード大学への留学が決まった。

そもそも過労で倒れるというアクシデントがきっかけで始まった大学院受験だが、まだ修士課程くらいなら合格できることがわかってほっとした。体調や仕事との兼ね合いで併願もできずリスクは高かったが、結果的には集中できたのかもしれない。毎年多くの学生の大学院進学指導や推薦状作成をしているが、それも役に立ったといえそうだ。

大学院の受験も、就職活動も、奨学金や研究資金の申請も、出願の基本は同じだ。つまり

「自分はどういう人間か、これまでどのように生きてきたか(自己紹介・これまでの実績)、

なぜこれをしようとしているのか(志望動機)、

ここでの経験を今後どのような貢献に変えてゆくか(将来展望)」

という3点をいかに説得的に語れるかにあると思う。出願はいろいろと面倒なことも多いが、その中でこの3点を語れる場所は意外に少ない。十分に練った書類を作れるかが試されるのだ。

以上、留学を考える人の参考になれば幸甚である。


Related entries

- オクスフォード大学に出願する1

- 啐啄同時2

- 最後まで粘った話二題

- 奨学金をとった話

- 800th Anniversary

| | コメント (0)

2015年11月22日 (日)

オクスフォード大学に出願する1

留学を考えている方の参考になればと思い、2015年10月にオクスフォード大学大学院教育学研究科に入学するまでの経緯をまとめておく。

1.出願までの経緯
2015年9月から1年間サバティカル・リーブをとれることになった。在外研究をするつもりで受け入れ先に申請を、と思っていた矢先に過労で入院してしまい、申請ができなかった。

それならばと、ずっと興味のあった高等教育論について研究することにして大学院の修士課程での留学を考えはじめる。大学教員をしているが、教育について体系的に学んだり研究したことはない。今後速いペースで進む若年人口の減少や高等教育のグローバル化を日本の高等教育機関はどのように生き抜いていくのか、ということにも興味があった。

2.出願先選び
出願先として検討したのは、ハーバード大学オクスフォード大学ロンドン大学教育研究所(IoE;現在はUCLと合併)の3校である。いずれも高等教育専攻の修士課程を持つ(母校の一つ、ケンブリッジ大学は高等教育専攻がなかった 涙)。

ハーバード大学は出願に際してGMATのスコアが要求されるが、受験している時間がなかったのでパスした。IoEも小さな子供のいる家族を連れての留学だと、ロンドンは都会過ぎてちょっと難しい。結局ほどよく田舎のオクスフォード大学に出願することにした。

通常は滑り止めも出願するものだが、時間がとれずオクスフォード大学専願となった。

3.出願書類
オクスフォード大学の選考プロセスは、学部による書類選考、面接(スカイプ面接も含む)、カレッジによる書類選考、合否の決定(条件付き合格の場合もある)となる。

出願はウェブを通じて行う。ウェブに所定の記入事項を入力してゆくが、項目は多岐にわたり、いろいろと調べながらの入力で、数日かかった。

オクスフォード大学に提出する書類は下記の通り。推薦状を除く書類のほとんどは、2014年の夏休み期間中に時間を見つけてこつこつと収集・作成した。

1.出願動機書(personal statement)
2.2000ワード以内のエッセイ2点
3.履歴書
4.推薦状3通
5.学部・大学院等の成績証明書
6.学費を支払えることを示す証明書
7.英語を母語としていない場合は英語語学試験のスコア
8.7.の英語語学試験の免除を希望する場合はその理由書

1.は、1から2ページ程度にまとめる。

2.は私の場合1点は自分の研究書の要約、もう1点は日本の大学教育システムについての概要をまとめた。アカデミック・ライティングのレベルを試すもので、大学院レベルの英語のエッセイ・論文が書けることを示せればよい。

3.履歴書の書式は自由。自分の経歴・強みを十分に伝えられるように書く。年齢が年齢なもので、書くことには困らなかった。

4.は1通は直近の学位を取得した際の指導教員からでなければならない。私の場合、1通はケンブリッジ大学博士課程時代の指導教授、2通目は互いの研究領域をよく知っていて、教科書を共著したりした経営学者、3通目は職場の同僚で授業を共同開講している経済学の先生に依頼して、引き受けてもらえた。

5.出願に必要な学部の成績は、First ClassかGood Second (2.1)もしくはそれに等しいものが求められる。GPA換算の目安は3.6以上といったところである。私は学部を1992年に卒業していて、当時はGPAの仕組みはなかったが、その場合は自分で計算して提出する。計算してみるとGPAは3.66だったので、足切りされる心配はなかった。

6.教育学研究科の学費はオクスフォード大学の中でも最も安い部類に入るが、それでもEU域外からの留学生の場合カレッジ・フィーも含めて19,000ポンドほどかかる(最も高いのはMBAの50,200ポンド)。生活費も含めるとおおむね30,000ポンドほどかかるので、必要な資金を手当てしておく必要がある。過去の留学はすべて奨学金でまかなったが、今回は自弁である。

7.IELTSなら、オーバーオール・スコア7.5以上、各コンポーネント7.0以上の成績が求められる。英語圏の大学で学位を取っていれば語学試験免除申請を出すことができるので、8.の語学試験免除申請書を出した。

続く。


Related entries

- 啐啄同時2

- 最後まで粘った話二題

- 奨学金をとった話

- 800th Anniversary

| | コメント (0)

2013年12月10日 (火)

啐啄同時2

クリスマスカードが届き始める時期となり、今春ICUを卒業してLondon School of Economics (LSE)に留学中の元ゼミ生からも、カードが届いた。

P1110245

あこがれていたLSEに入学して3ヶ月。

日々の課題は膨大で、ロンドンに住んでいるというよりも図書館に住んでいるといった趣だが、充実した毎日を送っているらしい。

ここにいることが夢のようで、いまだに信じられない、とも書いてあった。私自身が、どうしても行きたかったケンブリッジ大学に入学したその日に、カレッジの図書館で思ったことと(そしてその後もずっと感じていたことと)、まったく同じ感想が微笑ましい。

研究計画書の作成、奨学金の申請、語学試験の受験、推薦状・・・、留学の準備には、多くのエネルギーが必要になる。特によい大学を目指す場合は、なおさらだ。

しかしそれらを一つ一つクリアして、希望の大学からのオファーを得ることが出来れば、後は楽しむだけである。

(・・・あ、いや、入学後の勉強も十分に大変なのだが・・・ 笑)

啐啄同時。学生の努力と教員のアドバイスがうまく噛み合って、よい結果に結びつくというのは、実は、大変に幸運なことなのである。うまく手助けできて結果が出せたことは、まさに教員冥利に尽きる。

ちょうど一年前、この学生が一生懸命書いてくる研究計画書や奨学金の申請書にアドバイスしていた頃を思い出した。本当によかったね、と共に喜びたい。

ps. お菓子とお茶、長男への絵本のギフト、感謝です。

 

Related entries

- 最後まで粘った話二題

- 奨学金をとった話

- 800th Anniversary

- 啐啄同時

 

- ゼミ飲み会(Autumn 2013)

- ゼミ飲み会(Spring 2013)

- ICU卒業式2013

- 最後まで粘った話二題

- ゼミアルバム

- 卒業研究発表会2013

- 締め切り前日

- ゼミ合宿2012

- ゼミ飲み会(Autumn 2012)

- ゼミ生有志とBBQ

- ゼミの写真撮影2012

- ゼミ2期生OB会2012

- 企業家研究フォーラム年次大会2012

- ゼミ飲み会(Spring 2012)

- ゼミ生からの贈り物

- 卒業研究打ち上げ2012

- 卒業研究発表会2012

- 卒業論文

- ゼミ合宿2011

- ゼミの写真撮影

- ゼミの就活ジンクス

- 啐啄同時

- ゼミOB会

- ゼミ飲み会(Spring 2011)

- 卒業ライブ

- 卒業茶会

- 宴のあと

- 卒業研究発表会2011

- ゼミ合宿2010

| | コメント (0)

2013年5月22日 (水)

お説教をするII

・・・といっても、勉強しない学生を叱りつけるわけではない。

ICUはキリスト教精神に基づく教育を行っていて、年に一度この時期にChristianity-Week (キリスト教週間C-Week)という期間を設けて、キリスト教について考え学ぶイベントを開催している。

学生のリクエストで、今回C-Week中の礼拝でお説教をすることになった。ここでは賛美歌を歌い、聖書を読み、祈り、しかる後に学生や教員、あるいはゲストが15分ほどのメッセージを伝える、つまりお説教をする。

今年のC-Weekのテーマはキリスト教の真理と自由とのことで、そのお題に沿ってメッセージを考えた。

礼拝が始まる。同僚がオルガンで前奏曲を演奏してくれた。

礼拝ではまず、ユダに裏切られてエルサレムの長老達に捕らえられる直前のイエスの祈りの場面の福音書の朗読をお願いした。イエスは、まもなく自らが十字架にかけられる運命を知りつつ,神に祈っている。

『イエスは出て、いつものようにオリブ山に行かれると、弟子たちも従って行った。

いつもの場所に着いてから、彼らに言われた、「誘惑に陥らないように祈りなさい」。

そしてご自分は、石を投げてとどくほど離れたところへ退き、ひざまずいて、祈って言われた、

「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。

そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。

イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。

(ルカによる福音書 22章39〜44節)』

そのあと、次のようなメッセージを伝えた。

-----------------------

「ゆだねること」

本日、皆様の前でお話をする機会を得ましたことを感謝します。

私は経営学担当の教員、Think!(仮名)と申します。普段は経済学、経営学やマーケティングの授業で企業経営について講義しております。

自己紹介をしますと、私は横浜の出身で、幼稚園から小学校中学年くらいまでは家から歩いてすぐの教会に通っていました。仲のよい友達から誘いを受け、お祈りをしにというよりも彼らと遊びに行く感覚で通っていたものです。

そのあとは習い事や塾通いを始めて次第に日曜学校から足が遠のき、次に再び教会に通うようになったのは1997年、27歳の時でした。当時私は、英国ケンブリッジ大学の博士課程に留学しており、カレッジ(寮)の礼拝堂で学期中の夕祷(evensong)と日曜礼拝に出席していました。(今になって考えると、近くに教会やチャペルがないと通わない、かなりの怠け者だということに気づきます。)

そして博士号を取得し、研究員としての任期も終わりに近づいた2003年に洗礼と堅信の式を受けました。当時は大きな決断という意識もなく、それまでの6年ほどのあいだ加わっていたコミュニティにきちんと所属し、祈り、神の教えについて考えようと思ったからでした。そしてこの時の決断が、その7年後に本学に着任するきっかけとなるのですが、もちろん当時はそうなることを知るよしもありません。

今回の私のメッセージのテーマは「ゆだねること」ですが、私がこのようにICUの礼拝で語るのは、これが二度目です。最初のメッセージは2010年9月28日のチャペル・アワーで「没頭すること」と題してお話ししたものです。その際にも福音書の同じ箇所を読んでいただきました。

「さすが経済学・経営学を教える教員、効率的だ・・・」と思われるかもしれません(ちなみに冒頭の自己紹介も前回のメッセージのコピペです)。・・・が、もちろんそういうわけではありません。私は福音書から多くを学びましたが、イエス・キリストについて考え思いを巡らす際に、この箇所ほど私に訴えかける場面はないからです。それほどこの箇所は多くの考えるきっかけを示してくれます。

さて、今年のC-Weekのテーマは、ヨハネ8:32の「また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう('and ye shall know the truth, and the truth shall make you free.')」です。

もう少し敷衍しましょう。その部分はこのように語られています。
「8-31『もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。
8-32 また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう』。
8-33 そこで、彼らはイエスに言った、『わたしたちはアブラハムの子孫であって、人の奴隷になったことなどは、一度もない。どうして、あなたがたに自由を得させるであろうと、言われるのか』。
8-34 イエスは彼らに答えられた、『よくよくあなたがたに言っておく。すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。
8-35 そして、奴隷はいつまでも家にいる者ではない。しかし、子はいつまでもいる。
8-36 だから、もし子があなたがたに自由を得させるならば、あなたがたは、ほんとうに自由な者となるのである。』」

真理も自由もあるいは真の自由も、考え方や価値観、文脈によって解釈が異なってきます。自由(freedom)とは、「他のものから拘束・支配を受けていない状態、自己自身の本性に従う状態」であり、真理(truth)とはこの聖書箇所の場合、主イエスを通じて語られる神のみ心ないしみ言葉です。

そもそもキリスト教徒に自由はあるのでしょうか。全知全能の神の前にあって、我々は自由な意志のもとに選択をすることは可能なのでしょうか。そして、真理を得た人は、自由になるのでしょうか。

人や組織といった主体(subject)における自由はあるという考え方、すなわち自由意志論(voluntarism)と、主体の行く末は運命に翻弄され主体が自由にできることはほとんどないという考え方、すなわち環境決定論(environmentalism)のせめぎ合いは、哲学、人文、社会科学で良く取り上げられるテーマです。

思想家・数学者・自然科学者のパスカル(1623~1662)は、随想集『パンセー』の中で「人間は、自然の中で最も弱い一本の葦にすぎない。しかし、それは考える葦である。これを押し潰すのには宇宙全体が武装する必要はない。一つの毒気、一つの水滴も、彼を殺すに十分である。しかし、宇宙が彼を押し潰すときも、人間は彼を殺すものよりも高貴であろう。なぜならば、人間は自分が死ぬこと、宇宙が力において自分に勝ることを知っているからだ。宇宙はそれを知らない。だから我々の尊厳は考えることにある。」と述べています。

葦は、少しの風が吹くとしなり、風の前に屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、 運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚にふるまう風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったか、とウェブで見つけたあるエントリーでは解説がなされています(http://blog.livedoor.jp/heartwords/archives/50203691.html)。

キリスト教における自由がどのように考えられてきたのかを振り返ってみましょう(日本式 自由論 第二部『第三章 キリスト教の「自由」』http://nihonshiki.sakura.ne.jp/ziyu/ziyu2-03.html)。

古代キリスト教世界の神学者オリゲネス(Origenes Adamantius,185頃〜254頃)は、次のように神の全能性と人の自由について述べています。「我々は意思の能力を神から受けているが、あるいは良い願望に、あるいは悪い願望に向かうように、この意思を用いるのは我々である。行為(effectus)についても、同様に考えねばならない」とし、「我々の自由意志にかかっていることが、神の助けなしに成し遂げられうると考えてはならないし、神のみ手の果たすことが、我々の行動、努力、意図を伴わないで成し遂げられるとも考えてはならない」としています。つまり、神は我々に自由意志を与え、そして我々は神の助けのもとにその自由を用いているという考え方です。

初期キリスト教の教父アウグスティヌス(Aurelius Augustinus, 354〜430)は、やはり神と人の自由について、以下のように述べています。「神は、人間が神の法に違反して神を捨て罪を犯すであろうことを予知しておられたが、天使のばあいと同様、人間から自由意志の力を奪いとることはされなかった。神はそれを予知すると同時に、神がその悪からも何らかの善をつくるであろうことを予見されたからである」として、「わたしたちは、神の予知を認めても、意志の自由を廃棄せねばならぬわけではなく、また、意志の自由を認めても、神の予知を否定する(それは不敬である)必要もない」と考えています。

ドイツの宗教改革者ルター(Martin Luther, 1483〜1546)は、「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、だれにも従属していない」一方、「キリスト者はすべてのものに奉仕する僕であって、だれにも従属している」という両面性を示しました。そのうえで、「きみはしっかりした信仰をもってキリストに自分をゆだね、ためらわず彼を信頼すべきである。そうすれば、その信仰のゆえに、きみのすべての罪は赦され、きみの滅びはみな克服されよう。そしてきみは、正しく、真実に、平和に、義とされ、またすべての掟が満たされ、すべてのものから自由にされよう」と、委ねることによって得られる自由について触れています。

冒頭の福音書の箇所は、オリーブ山での主イエスの祈りの場面です。そしてそれは自由意志と委ねることのつながりを意識させずにはおきません。そこで主イエスは弟子に裏切られながらも、わが身を犠牲にすることで人を救おうとしています。そして迫り来るその運命について考え悩み、血の汗の滴を流して神に祈ります。やがて祈り終えたイエスは、意を決して立ち上がります。直後にイエスは捕らえられ、エルサレムへと送られ、裁判で辱めと責め苦を受け、そして十字架にかかります。

イエスの決断と死を、ピリピ人への手紙では、「2:6キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、 2:7かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、 2:8おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。」としています。そして自らの意志のもと、神に身を委ねた主イエスは、昇天し、栄光の座である、父の右に座しています。自らの死と復活によって死を克服し、人類をもまた死から解く正当な権能を得たと、そして再臨し、死者と生者すべてを審判し、その後永遠に支配すると信じられています。

キリスト教の自由とは、真理を得た先にもたらされる自由です。

クリスチャンとしての我々への真理は、実は二つのことしかありません。それはマルコによる福音書の中にある、愛についてのたった二つの教えです。

「12:29イエスは答えられた、「第一のいましめはこれである、『・・・ 12:30心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 12:31第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない。」

主イエスが神の御心にその身を委ねたように、我々は真理、つまり愛の中に身を委ねることができるのでしょうか。その先にある自由の境地に達するために。

私はまだまだで、それ故に自由を感じておりませんし、本当に自由な人に会えたという経験もありません。しかしこのようなことは、いつも心がけていたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。本日の福音箇所を思い出しつつ、最後に次の句を皆様に捧げて、みなさんが真理のもと自由な意志によって力強く歩まれるよう願っています。

「心を強くし、かつ勇め。

汝の行くところすべてにて

汝の神、主の共にいませば、

恐るるなかれ、おののくなかれ。」(ヨシュア記第1章第9節)

アメン。

-----------------------

今回はお題が出ていたので、メッセージの草稿を書く際は、学生時代のエッセイを書くような感覚が懐かしかった。

普段学生とキリスト教について話す機会はあまりないが、意外に関心のある学生や教員も多いようで、今回の会場となった小さなシーベリーチャペルは、ほぼ満員となり、後日メッセージを聞いた教員や学生からいろいろと声をかけられた。

神学者ではないので他愛のないメッセージの内容ではあるが、これもまたよい経験である。


Related entry

- お説教をする

| | コメント (0)

2013年3月25日 (月)

最後まで粘った話二題

その1

海外留学を目指していたゼミ生からの知らせがあった。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(London School of Economics and Political Science; LSE)修士課程入学のオファーが来たとのことだ。

恋人のいるロンドンに留学したいとのことで、相談を受けたのは昨年秋くらいだったろうか。学問をする理由としては少々不純だが(笑)、持続する意志は成果を出すための必要条件である。

アドバイスを引き受けた。奨学金と大学院出願のアプリケーションにコメントする。最初のうちは、だめ出しの嵐でまったく進まない。我慢強く書類を推敲し続けて3ヶ月、いくつめかの出願でついに奨学金のオファーを受けた。

大学院の方の出願書類はといえば、こちらもだめ出しの嵐で相当苦労していたが、ぎりぎりまで粘ってエッセイを磨き上げ、ロンドン近辺の大学に出願した。第一志望はLSE。そして待ちわびた吉報が届いたのだ。

アドバイザーとしても、連絡を受けてほっとした。正直なところLSEは無理だろうと思っていたのだが、よい意味で裏切られ、当人の一念には敬服した。

その2

別のゼミ生の卒業論文が、学内の優れた研究に贈られる「髙山晟・経済学奨励賞」を受賞した。ゼミ生としては2年ぶりだ。

今年のゼミ生の例に漏れず、この学生の研究もスローペースであったが、追い込み時期になってかなり良いものができてきた。

アドバイザーはこの時期、学生たちに論文の改善点を矢継ぎ早に示していく。学生は疲れてくるし、残り時間や文献、データの入手状況が気になって、最後のところでは論文を「まとめる」方向に向かいたがるものだ。しかしこの学生は、ぎりぎりまで「攻め」ていたように思える。

これが良かったのかもしれない。優秀論文として推薦したところ、受賞が決まった。

彼らは考え抜いた。そして締め切り直前まで努力した。たとえ結果がどうであっても、十分納得して受け入れられたのではなかろうか。

努力が常に成果につながるとは限らない。当然である。しかしやはり、彼らの努力が第三者に認められたことが、彼らにつきあってきた私にとっても大変嬉しいことだった。

Related entries

- ゼミアルバム

- 卒業研究発表会2013

- 締め切り前日

- ゼミ合宿2012

- ゼミ飲み会(Autumn 2012)

- ゼミ生有志とBBQ

- ゼミの写真撮影2012

- ゼミ2期生OB会2012

- 企業家研究フォーラム年次大会2012

- ゼミ飲み会(Spring 2012)

- ゼミ生からの贈り物

- 卒業研究打ち上げ2012

- 卒業研究発表会2012

- 卒業論文

- ゼミ合宿2011

- ゼミの写真撮影

- ゼミの就活ジンクス

- 啐啄同時

- ゼミOB会

- ゼミ飲み会(Spring 2011)

- 卒業ライブ

- 卒業茶会

- 宴のあと

- 卒業研究発表会2011

- ゼミ合宿2010

| | コメント (0)

2011年10月 5日 (水)

Steve Jobs

Steve_jobs

スティーブ・ジョブズが亡くなった(日本時間の6日、オフィスアワーに来室した学生がなにげにその話題を出して、初めて知った)。



まだ私が高校生の頃、米国に在外研究に出ていた父親が、帰国する際に担いできたコンピュータがマッキントッシュだった。機種はたしかMacintosh SEで、CPUはモトローラの68000、フロッピーディスクと20メガバイト(←ギガバイトではない)のハードディスクを内蔵したモデルだった(今から見ると涙が出るほどの低スペックだが、それが100万円近くした時代である)。

直感的なGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス)や、各種ソフトの使い勝手の良さ、かわいらしい仕掛け・・・。よくクラッシュしたがとても愛らしい存在で、以来ずっとメインマシンにはマックを使っている(ちなみに、クラリスワークス(後のアップルワークス)は、わたくし的には今でも最高のドキュメント作成ソフトだと思っている)。

カリグラフィーを学んだジョブズが、システムに内蔵するフォントはもちろん、初期のモデルではコンピュータの性能とは関係のない基盤の配列にも美しさを求めたり、とてつもなく頑丈で真黒なマグネシウム立方体ボディのワークステーションNeXT Cubeを作ったりと、中身はもとより外見的なことにまでこだわりぬいたエキセントリックなエピソードがよく語られる。

しかしコンピュータとしての基本的な機能はもちろん、そんなところにまでこだわりぬくくらい入れ込むことが出来るとしたら、そしてそれを実現させてしまうとしたら、それはすごいことだと思う(一緒に仕事をする人はおそらく大変だろうが・・・、笑)。

そしてそのようなこだわりが、マックをして他の無味乾燥なPCとは根本的に異なるパッケージ(ハードウェア、OS、アプリケーション)として誕生させた要因の一つであるようにも思われる。

外観ににじみ出る内面。当時のマックには、そこまでこだわりぬいたジョブズのスピリッツがにじみ出ていたのかもしれない・・・。

2005年、スタンフォード大学の卒業講演で彼が語った3つの話(過去をつなぐ、愛、死)の「愛」の部分を聞いてふとそんなことを考えたことを、彼の訃報に接して思い出した次第である。

| | コメント (0)

2010年10月 5日 (火)

お説教をする

・・・といっても、勉強しない学生を叱りつけるわけではない。

ICUはキリスト教精神に基づく教育を行っており、学期中は週に一度礼拝堂でのチャペル・アワーがある(自由参加で強制ではない)。ここでは賛美歌を歌い、聖書を読み、祈り、しかる後に学生や教員、あるいはゲストが15分ほどのメッセージを伝える、つまりお説教をする。

宗務部のリクエストで、今回お説教をすることになった。不惑にして初めてのお説教、不信心者には過ぎた荷だ。が、そのような機会が回ってくるのも十年に一度とのことなので、引き受けた。

まず、ユダに裏切られてエルサレムの長老達に捕らえられる直前のイエスの祈りの場面の福音書の朗読をお願いした。イエスは、まもなく自らが十字架にかけられる運命を知りつつ,神に祈っている。

『イエスは出て、いつものようにオリブ山に行かれると、弟子たちも従って行った。

いつもの場所に着いてから、彼らに言われた、「誘惑に陥らないように祈りなさい」。

そしてご自分は、石を投げてとどくほど離れたところへ退き、ひざまずいて、祈って言われた、

「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。

そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。

イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。

(ルカによる福音書 22章39〜44節)』

そのあと、次のようなメッセージを伝えた。

-----------------------

「没頭すること」

本日、皆様の前でお話をする機会を得ましたことを感謝します。

私は経営学担当の教員、Think!(仮名)と申します。普段は経済学、経営学やマーケティングの授業で企業経営について講義しております。

自己紹介をしますと、私は横浜の出身で、幼稚園から小学校中学年くらいまでは家から歩いてすぐの教会に通っていました。仲のよい友達から誘いを受け、お祈りをしにというよりも彼らと遊びに行く感覚で通っていたものです。

そのあとは習い事や塾通いを始めて次第に日曜学校から足が遠のき、次に再び教会に通うようになったのは1997年、27歳の時でした。当時私は、英国ケンブリッジ大学の博士課程に留学しており、カレッジ(寮)の礼拝堂で学期中の夕祷(evensong)と日曜礼拝に出席していました。(今になって考えると、近くに教会やチャペルがないと通わない、かなりの怠け者だということに気づきます。)

そして博士号を取得し、研究員としての任期も終わりに近づいた2003年に洗礼と堅信の式を受けました。当時は大きな決断という意識もなく、それまでの6年ほどのあいだ加わっていたコミュニティにきちんと所属し、祈り、神の教えについて考えようと思ったからでした。そしてこの時の決断が、その7年後に本学に着任するきっかけとなるのですが、もちろん当時はそうなることを知るよしもありません。

さて私は旅が好きで、留学中に英国を始め欧州各国の街を旅してきました。北欧から地中海まで、旅先の街で必ず立ち寄るのは地元の教会と美術館です。モザイクに彩られたビザンティン様式、簡素な石彫りのノルマン様式、アラビア建築の影響を受けた建物、ゴシック様式からバロック様式まで、そして小さな村の教会の簡素な内装から、豊かな商業都市にある豪奢な教会の内陣まで様々なものを拝観しました。いずれも、その土地土地の街の人々や工事に携わった職人たちの思いが伝わってきます。

また美術館の絵画もよく見てまわりました。中世から1800年代までの絵画の作品のモティーフで圧倒的に多いのは、やはり旧約聖書や福音書、あるいは聖者たちのおこないの様々な場面です。(マリア、ヨゼフ、洗礼者ヨハネとキリストの)聖家族のポートレート、キリストの教えの旅の道中、キリストがみなに語りかける場面、様々な奇跡を起こす場面、そして受難と復活・・・。

そんな数多くの絵画の中で、弟子達とともにキリストに従う無名の信者たちの姿を見ることができます。絵の注釈では、彼ら信者はdevoteesと呼ばれています。devoteeの動詞形devoteは「帰依する」という意味ですが、より広く「没頭する」という意味も持っています。ある教えに没頭することが、すなわち帰依するということになるのでしょう。

さて皆さんはこれまで、どの様なことに没頭してこられたでしょうか。私は、ここで「没頭する」ことについて考えてみたいと思います。今思い返すと、英国留学中の博士論文執筆は、私が真に没頭するということを体験した出来事であったと思いますので、そのことについて申し述べたいと思います。ただし、「私は研究が好きで、好きな研究に熱中して・・・」という展開ではありません。確かに最後の方では熱中していたのですが、そうなるまではいろいろと紆余曲折がありました。

英国の大学の博士課程の研究では、1年目に既存の文献を大量に読み込んでまだ研究されていないテーマを見つけ出し、2年目で様々な調査を行ってデータを集めます。そして3年目に、新たに得られた知見に関して論文を執筆することになります。

この博士論文では、まだ誰も見つけていない新たなことを見い出すという「知識への貢献(contribution to knowledge)」が求められます。小さなことでよいのですが、自分で新たなものを探し出さなければなりません。それは、修士課程までの習い、覚え、考えるということとはまったく違う、研究者として初めての知的探求のプロセスです。

多くの博士候補生がこのプロセスの中で、思い悩むことになります。自分は本当に必要なデータを集められているのだろうか、それらから意味のある発見があっただろうか、生み出しつつある理論の構成に矛盾はないだろうか、気づかずに他の人がすでに発表したことを後追いする、いわゆる「車輪の再発明(reinvention of the wheel)」をしてしまっていないだろうか、そもそもこんな研究に意味があるのだろうか・・・。

悩みだすと研究はストップしてしまいますが、しかし時間は容赦なく過ぎていきます。奨学金が尽きる前に、なんとか論文は完成させなければなりません。見込み発車で、確たるルートも結論も見えないまま論文を書き始めなければならないのは、地図もなく真っ暗な道を進むようなもので大変つらいものです。

私も、ようやく書き始めました。経営学の博士論文の長さは、標準的なものでおおむね300ページ前後、もちろんすべて英語で書かなければなりません。しかし初日に書くことができたのは、わずか3行ほど。書き上げるのに何年かかるのだろう・・・、と絶望的な気分になったのを、今でも鮮烈に覚えています。

とにかくそれからは、研究室にこもりきりです。朝カレッジ(寮)で朝食をとり、8時に研究室に入ります。午前中の執筆、そしてカレッジに戻り昼食をとり、午後の執筆。3時にお茶を飲み、午後6時まで執筆。カレッジのジムに行ってエクササイズで一汗流してシャワーを浴び、夕食をとり、そのあと再び研究室に戻って午前1時まで執筆。執筆を終えて自室に戻っても、少し前まで考え事をしていたせいで頭が冴えていてすぐには寝られません。下手をするといつまでも寝られないので、安ワインを飲んでリラックスして頭を落ち着け、ようやく午前3時前に寝ます。翌日も、その翌日もこの繰り返しでした。

こんな生活が1年ほど続きます。まったく進まないときもあれば、少しは進んだかなと思う日もあります。最初は1日1ページも書けなかった文章も、2ページ書けるようになり、3ページ書けるようになり、ペースも上がっていきました。「何とかしなくては」から、「いや、なんとかなりそうだ」と思えるようになり、短い睡眠時間も、研究室や図書館で長時間机にしがみつくことも、日々の単調な生活も、つらいこととも思わなくなり、初めのうちはできることなら向き合いたくもなかった自分の研究が、だんだん愛おしく思えるようにさえなりました。そのころ、私は本当に研究に没頭していたのだと思います。

こんな日が続いて1年が過ぎますと、論文は完成していました。最後の方は、あまりに熱中していたため、ふと気づいたら目の前に完成した論文がおいてある、そんな感じでした。

これは私の個人的な考えですが、何かに没頭できるということは、ただ単になすべきことが分かっていて、それを無心にこなすということは少し違うように思えます。また与えられた仕事を一生懸命にこなすというのとも、少し違います。

つまり、没頭するためには、次の3つの要素があるような気がするのです。

まずそのことに取り組み始めた段階で、「これでよいのだろうか」「本当に大丈夫だろうか」といった、よい答えが見つからないことへの思い悩みや未知への怖れを経験することになります。そして、それらを乗り越える意志と決断が必要になります。このような意志と決断がなければ、決して前に進むことができません。

次に、意を決したら、やり抜く覚悟で取り組まなければなりません。最初は思うように進まず、このままでよいのかという疑問も持つし、あきらめたくもなることもあるでしょう。しかも結果がどうなるかは、最後まで分かりません。もしかしたら徒労に終わるかもしれませんが、それでもやはり進むしかないのです。

そして自分の取り組んでいる課題にたいして、「惚れる」気持ちが必要になります(私は大変俗な人間で、愛することをよく「惚れる」という言い方をします)。惚れるという、感情的な移入ですね。これらの3つの要素が加わって、初めて没頭することができるのではないかと思います。

そんなことを考える私が福音書の中で特に心に残るのは、オリーブ山での主イエスの祈りの場面です。主イエスはわが身を犠牲にして十字架にかかることで、人を救おうとしています。そして迫り来るその運命について考え悩み、血の汗の滴を流して神に祈ります。それは、どんな思いであったことでしょう。

やがて祈りを終えたイエスは、意を決して立ち上がります。直後に捕らえられ、エルサレムへと送られ、裁判で辱めと責め苦を受け、そして十字架にかかります。それは想像を絶する、つらく苦しい時間です。しかしこの時、主イエスは愛する人のために殉じ、世界を救うことに没頭していたのだと思います。だから私は、その起点となったオリーブ山での主イエスの祈りと決意に心打たれるのです。これが、本日の聖書箇所について私が思うことです。

特に若い学生諸君に伝えたいと思います。人生の中で、本当に没頭することができる機会は、多くはありません(私はいま与えられた仕事を日々一生懸命こなしています。が、真に没頭しているかと聞かれれば、必ずしもそうではありません)。まして人は将来を予測できず、どこから手をつけてよいか分からないことも多く、自らの進む方向に疑いを持つこともあり、しかもどれだけ努力をしても思い通りの結果を得られるとは限りません。

それでも是非、一度でも没頭するという経験をしてみてください。始める前から怖れてはなりません。悩みに向き合い、決断し、あるときは我慢して進み、そして難問にさえ惚れること。そのような経験は、きっと諸君を成長させ、その先の人生を生きる勇気の源となるでしょう。このことを本日の私のメッセージとしたいと思います。

祈りましょう。

在天の主よ。私たちは、時に未知のことを怖れ、歩む先の長さや苦しさに絶望し、その歩みを止めてしまいます。どうか私たちをお導きください。そして、歩み続ける勇気を得ようとする私たちとともにいてください。

社会に出ることを怖れる学生、まだ就職先が決まらずに焦る学生、結果を出せず選んだ進路に対してそれがよかったのか疑問を持つ学生、また希望とは異なる仕事や職種あるいは内定先に就職すべきなのかどうか悩む学生がおります。彼らがよき決心に至るよう、そしてゆっくりでも着実に歩めるようお守りください。

主イエスの御名において。アメン。

-----------------------

ブログのネタ不足の中、一生懸命考えて一回話して終わりではもったいないので、エントリーに使うことにした。長くなったが赦されたい。

| | コメント (2)

2010年3月24日 (水)

奨学金をとった話

ケンブリッジ大学博士課程留学中に受けていた奨学金を拠出してくれた財団法人吉田育英会主催の現役奨学生とOBの懇親会に出席した。吉田育英会は、ジッパーやアルミサッシ製造では世界的にも名が知られるYKK株式会社の創業者故吉田忠雄氏が設立した財団である。

以前のエントリーでもふれたように、たまたま訪れたケンブリッジ大学にすっかり魅せられた私は、惚れた一念で同大学大学院の博士課程に出願すると同時に、学費を捻出するために奨学金の確保に必死になっていた。

せっかく先方の大学からの入学許可が下りても、先立つものがなくては留学などできない。いくつかの奨学生の応募に落選し、最後の最後に出願したのが吉田育英会の奨学生で、もし受からなければタイムリミットという背水の陣であった。そのときの面接会場が、今回の懇親会場にもなった両国にある同社の研修施設で、当時大学のあった神戸から上京して、ずいぶん緊張しながら面接会場に入ったのを覚えている。

面接では非常に厳しい質問にもさらされて半ばあきらめていたのだが、無事授与されることが決まり、1997年10月にケンブリッジ大学の博士課程に入学した。夢が叶った、本当に幸せな瞬間だった。

振り返ってみると、この奨学金を授与されたことは、私にとって二つの意味あいがあったように思える。一つは、もちろん経済的なことを心配することなく、留学先での研究に専念できたこと。そしてもう一つは、奨学金の取り方を教えてくれたことだ。この奨学金の応募プロセスでいろいろ揉まれたことで、奨学金の出願に関して、自分なりの成功の方程式をものにすることができたと思う。事実(それ以前の失敗も含め)このときの経験がものをいって、それ以降に応募した奨学金はすべて獲得することができたのだった。

Imgp0198

会場となった研修センターを訪れるのは、そのとき以来(13年ぶり)で、月日のたつ速さを改めて思い知らされる。懇親会は、歴代のOBや現役の奨学生が集まり、たいへん賑やかだ。

育英会の事務局のスタッフとも面接以来初めて会った。留学中は毎年、スタッフ全員の寄せ書きの入ったクリスマスカードを留学先に送ってくれた。クリスマス休暇に帰国できずにすっかり静まりかえった大学の寮で寂しく「越冬」しているときなど、そのような配慮はとてもうれしいものだった。

現役の奨学生にも挨拶する。同期がみな社会人として独立する中で、まだ経済的に自立できないのが大学院生だ。研究生活の経済面の心配がなくなった有り難みを知り、自由にのびのびと研究生活、そして大学院生活に打ち込めるといいね、と乾杯しながら話しこむ。

私自身も久しぶりに留学出発当時のことを思い返す一晩となった。

P1020047

(吉田育英会理事長、吉田忠裕氏(YKK株式会社代表取締役社長)と一枚)

| | コメント (0)

より以前の記事一覧